休日に久しぶりにユーリー・ノルシュテインの「話の話」(1979)を観ました。
「話の話」は作家本人の経験や思い出に基づきつくられた長編アニメーション作品です。
ユーリー・ノルシュテインは、切り絵による繊細な表現で映像をつくりだしています。

日本でも2010年にロシア文化フェスティバル/ノルシュテイン展覧会がありましたが、こちらは会場が遠方だったこともあり、図録を購入しました。その図録中に

私は論理というものが苦手で、身のまわりの世界を自分自身に説明しなければならな い理由がわからないのです。実用的な言語は暗喩と比較すれば頼りないものです。日々親しんでいる日常の細々とした出来事を、首尾が一貫して調和のとれた手段で数えていけば、それはとりもなおさず暗喩、すなわちメタファーに形をかえるのです。
「話の話―ロシア・アニメーションの巨匠 ノルシュテイン&ヤールブソワ」展覧会図録2010より 

という展覧会への本人の寄稿があります。まさに映像の詩人と呼ばれる所以です。

私にとってこの一文は、宮沢賢治の詩に対する主張を書いた「詩法メモ」中の

詩は裸身にて論理の至り得ぬ/堺を探り来る/そのこと決死のわざなり
イデオロギー下に詩をなすは/直観粗雑の論理に/屈したるなり
を連想させます。

この作品は、戦中から戦後を生きたノルシュテインの記憶や体験に基づくさまざまなエピソードを連ねたものですが、平安な日常のシーンや、その日常を揺らがす出来事の描写など、観るものを共感させる普遍的なテーマが描かれています。機会があれば是非観てください。

コメント

このブログの人気の投稿

慢性痛

「病気を灸で治すには」

施術後の生活のワンポイントアドバイス