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慢性痛

当院に来院される患者さんの多くは、症状が出現してから、 3カ月以上 の時間を経ており、なおかつ痛みが広範囲に出現しているケースがほとんどです。   痛みそのものに意味がある皮フや神経の炎症や組織の損傷といった、警告信号としての意味をもつ急性痛のケースとは違い、 慢性痛のケースでは、痛みが脊髄や脳に記憶されたものとなり、お薬や注射ではよくならないという段階にあります。 またこのような段階では、 痛み以外に 手・足が冷える、睡眠がとりにくい、消化器症状などの不定愁訴もともなっています。 痛みを止めることが重要!( 痛み自身が疾患 である) 痛みをとめる知識、痛みをコントロールする技術が求められます。 当院では痛みをコントロールする技術はもちろんのこと、痛みをなくすために本当に必要なこと、自分の痛みを知ること、食事や生活習慣(考え方)、エクササイズ(Robert Fulford,D.O.の発案および厚意による。)などの自宅でできる取り組み、養生法(灸)などトータルに取り組んでいます。 当院で用いる治効機序一例 〇末梢性鎮痛(オピオイド受容体を介した鎮痛) 〇脊髄性鎮痛(ゲートコントロールに伴う鎮痛) 〇脳性鎮痛(下行性疼痛抑制系・DNICなどによる鎮痛) 〇筋緊張の緩和 〇局所、または全身の血流改善 〇体性自律神経反射を介した自律神経機能の調整 〇さっか鍼などによる角化細胞を介した免疫・内分泌調整 〇鍼灸治療による神経伝達物質の増加(セロトニンなど) 参考文献:「いちばんやさしい痛みの治療がわかる本」伊藤和憲/医道の日本社

施術後の生活のワンポイントアドバイス

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一つ目は、食生活について、血流のバランスという観点からアドバイスできることは、多種多様な食べ物をできるだけ摂取すること。なかでも体の内分泌腺の機能と密接に関係する適正な量のたんぱく質の摂取を心掛けることは重要です。また、カルシウム、リン、血糖にもはっきりとした影響を与える炭水化物の過剰摂取には特に気をつける必要があります。 タバコ、アルコールなどは生命力を減退させる要因となり、血流を乱すものの一つです。 二つ目は、日常生活において後頭下三角部(←イラスト参照)の過度な緊張にはできるだけ注意すること、感情的な緊張が直接影響をあたえる部位です。この部位の筋肉の収縮は、脳への血行を阻害するだけでなく、異常な神経の活動を発生させる要因となります。 三つ目は、規則正しい睡眠を心掛けること。特に体温の低くなる深夜から早朝の時間帯は十分な睡眠が必要です。 以上の3つのポイントはどの患者さんにも有益な情報になることと思います。

「病気を灸で治すには」

当院では、昭和の名灸師と呼ばれた深谷伊三郎先生の灸法を行っております。 研究会にも参加し、技術の研鑽に努めています。 深谷先生の著書には、病気をお灸で治すにはどのようにするかということが端的に示されています。 『病気を灸で治すには、どのようにするかというと、疾病による違和反射の体表に現れているところを探しもとめればよい。そこには経穴反応がある。それは、そのからだがもっている自然癒能力を促進することのできる自然が示す鍵穴である。 治る病気であるならば必ず、この鍵穴がある。治らない病気では鍵穴は閉ざされている。だから開いている鍵穴をみつければ治すことができるといえる。 その鍵穴として感じ取れたのが、前に述べた、、、選び出した各穴である。』 参考文献: 深谷伊三郎著・お灸で病気を治した話「灸堂臨床余禄・第7集」
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先日サー・ネヴィル・マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団による演奏を聴いてきました。 91歳の高齢であるにもかかわらず、ひとたび指揮台にたつと周りの空気も一変し、立ち姿を見ただけでも感動を覚えます。 何百回と繰り返し聞いていたお気に入りの「トマス・タリスの主題による幻想曲」を、今回ネヴィル・マリナー指揮の演奏できけたことは、一生の思い出になりました。

思春期の側弯・脊柱のねじれ

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思春期の頃に好発する側弯症は背中の痛みや、腰痛、重症例では心肺機能への影響をもたらします。 側弯症は仙骨底が水平になっていないところから始まります。 この仙骨底の傾きを修正するための筋肉の代償作用により、弯曲が発生することとなります。 従ってこの仙骨底の傾きをもたらす原因に着目してアプローチすることが必要となります。 仙骨底を修正すると、上部の側弯は残っているように見えますが、時間が経つと、カーブが真っ直ぐになってきます。 骨というのは形が変わります。充分な時間の中で、からだも骨も筋肉もかわっていきます。 まずは悪化するのを止めることが必要です。是非ご相談下さい。

症例報告- 「お尻の痛み+足を引きずるような歩行」

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患者さん主訴: 『何ともいいがたいお尻の痛みが続いて、ここ数ヶ月スッキリしない状態が続いている。ちょっと買い物に出掛けても、歩くと足を引きずるような感じになってしまう。』 患者さんに痛みのポイントを示していただくと、お尻の側面からうしろ全体を押さえる。                                           みたて: 痛みのポイントとアプローチポイント(施術をするポイントの事)が重なることはこれまでの経験からもほとんどといってない。 今回のケースも、痛みの原因をたどっていくと、 お尻→膝上部→アキレス腱上方→足の甲→足指4指と遡ってアプローチポイントが定まる。 このように、症状がでている部分と離れた場所に解決の鍵がみつかることがあります。 今回の患者さんも、これまでに骨盤を調整をしたり、お尻の部分の筋肉の緊張をゆるめる施術を受けていたとのことです。 施術後は痛みが全くない状態で歩行が可能となる。翌日に様子を伺う機会があり、その後の経過をお聞きしましたが、『今日は気分よくデパートで買い物ができた』とのこと。
呼吸 私たちは一日の生活の間に、2万八千回呼吸します。 食物の消化のサイクルが24時間かかるとすると、呼吸作用の1サイクル(空気の吸収)には約3秒かかります。 バランスのとれた呼吸は、健康的で、若々しい生活の必須の要件です。 新生児において最初の呼吸が生じ、スペースとのリズミックな交換が始まる様子を産婦人科医のフレデリック・ルボワイエが描写しています。今日はその一文を抜粋させていただきました。 『子どもは、誕生する前はひとつの統一体のなかで生きていました。子どもは世界と自分のあいだに、どんな区別もしていませんでした。外も内もひとつだったのです。子どもはまだ対立というものを知らなかったのです。たとえば、冷たさについては何も知りませんでした。冷たさは、暖かさと比較することで初めてわかるからです。 子宮のなかでは、胎児の体温と母親の体温は完全に一致しています。どうやって、そこに区別が感じられるでしょう。 誕生以前には、内も外も、冷たさも暖かさもないのです。 誕生とともに、赤ん坊は対立の王国に転落します。そこでは、あらゆるものが、善と悪、快と不快、好きと嫌い、乾きと湿りなどに区別されます。子どもは、仲たがいした兄弟のように、切り離すことのできない対立関係を発見するのです。 子どもは最初どのようにして対立の世界に出会うのでしょう。感覚によって知るのでしょうか。いいえ、それはもっとあとです。 呼吸によって対立の世界に入っていくのです。 最初に息を吸い込むとき、子どもは一線を越えます。いま、そのときがきました。 子どもが息を吸い込みます。息を吸うことで、その反対の動きが生まれます。息を吐くのです。 そして、これがくりかえされていきます……。 振り子がふれはじめ、はてしなく動きつづけます。この世界の原理とは、あらゆるものが呼吸と振り子の運動からできている、ということです。あらゆるものが永久にその対立者から生まれます。昼は夜から、夏は冬から、富は貧乏から、強さは謙虚から生まれます。 始まりとか、終わりとかいうものはありません。 呼吸とは、こうした世界と調和し、普遍的で永遠につづく脈動と一体化することです。』  フレデリック・ルボワイエ/『バースサイコロジー』より抜粋
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ポンポン山の紅葉 先日の日曜日に、ポンポン山へ家族で紅葉をみに出掛けました。 天気も快晴で、見事に紅葉していました。見たことのない山野草も数多くありました。 標高679メートルのこの山は、頂上に近づくにつれて足音がポンポンと響くことから地元ではポンポン山と呼ばれています。正しくは かもせ山 というそうです。 学生の頃、6年間トレイルランニング(山走り)をこの山で続けていたので、頂上へは700回以上は登っています。ほんとうに大好きな山です。 息子は松ぼっくりや赤い実採集に熱中していました。
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紅葉の時期にあわせ、施術所の待合室の額を『落ち葉』に変えてみました。 作品に使っている落ち葉は、昨年万博記念公園で家族みんなで採取したものです。 今年の大阪の紅葉見ごろ予想は11月上旬~中旬となっています。 まだ紅葉は青葉のようです。 きれいな色に染まるのを観るのは、この時期の楽しみです。
休日に久しぶりにユーリー・ノルシュテインの「話の話」(1979)を観ました。 「話の話」は作家本人の経験や思い出に基づきつくられた長編アニメーション作品です。 ユーリー・ノルシュテインは、切り絵による繊細な表現で映像をつくりだしています。 日本でも2010年にロシア文化フェスティバル/ノルシュテイン展覧会がありましたが、こちらは会場が遠方だったこともあり、図録を購入しました。その図録中に 私は論理というものが苦手で、身のまわりの世界を自分自身に説明しなければならな   い理由がわからないのです。実用的な言語は暗喩と比較すれば頼りないものです。日々親しんでいる日常の細々とした出来事を、首尾が一貫して調和のとれた手段で数えていけば、それはとりもなおさず暗喩、すなわちメタファーに形をかえるのです。 「話の話―ロシア・アニメーションの巨匠 ノルシュテイン&ヤールブソワ」展覧会図録2010より  という展覧会への本人の寄稿があります。まさに映像の詩人と呼ばれる所以です。 私にとってこの一文は、宮沢賢治の詩に対する主張を書いた「詩法メモ」中の 詩は裸身にて論理の至り得ぬ/堺を探り来る/そのこと決死のわざなり イデオロギー下に詩をなすは/直観粗雑の論理に/屈したるなり を連想させます。 この作品は、戦中から戦後を生きたノルシュテインの記憶や体験に基づくさまざまなエピソードを連ねたものですが、平安な日常のシーンや、その日常を揺らがす出来事の描写など、観るものを共感させる普遍的なテーマが描かれています。機会があれば是非観てください。
好んで読む施術関連の本の中に『The Selected Writings of Beril E. Arbuckle,D.O.』がある。 その中に、「もし学生が、解剖学を十分に習得するよりも前に、臨床に着くことを許されるとしたら、彼は調整しようとする身体に関して不十分な知識が混じった状態で施術をすることになる」という言葉がある。 自分にとっては、このことを常に肝に銘じて日々の勉強に取り組みたい。